第25回 『普段はどこに居るのですか』

「あの、普段はどういうトコロに居るんですか?」
「・・・・?」
「だいたいどの辺に居るんですか?」
「仕事先・・という事ですか?」
「いえ、そうではなく・・」
「台所は好きですよ」
「ああ、そうではなく家の外では」
「物干台とか?」
「いえいえ、そのぉ、外出はされないのですか?」
「あ、そういうこと、乾式サウナが好きです」
「・・・・・」
先方の尋ねる意図がよく飲みこめないまま妙なリアクションを繰り返しているうちに、ついに先方が言葉を失ってしまった────のである。
断っておきますが、これはありきたりなナンパ師もどきとの語らいの記録ではない。
仕事を通じて知り合った初対面に近い男性、しかも私の素性をある程度は御存知の、そしてもちろんナンパ師などでは断じてないだろう実直な感じのクリエイティビティあふれる勤労青年と交わした会話内容の抜粋である。
どうにも気持ちの悪い着地点。明らかに双方のイメージする会話の流れが食い違っている。
この会話が気持ちの良い場所に着地しなかった原因を考えるならば、まず初っぱなから「普段はどこに居るのか」という質問に対して即座に焦点を合わせられない私に、やはり問題があるのだろうか。思い返せば、このようなトンチンカンな会話を交わしたのは、実はこれが初めてではないのだ。過去に何度か異なる複数の相手から、私はこの「普段はどこに居るのですか?攻撃」を体験しているが、毎度切れ味の悪いリアクションを繰り返しているように思う。
これを読んでくださっている方、それもとくに女性の方、ぜひとも御自分の身の上に置き換えて想像してみて欲しい。
たとえば会社員の方ならば、打ち合わせとか書類の受け渡しをするためにどこか社外の喫茶店で取り引き先の人間と会っていると仮定したとして。名刺交換を終え、目的の用件も何とかクリアし、やれやれ一息入れようと差し向いでコーヒーを飲んでいる。多少のリラックス感はあるもののとくにこれといって会話も弾まないような状況の中でほとんど面識のない相手の口からいきなり「○○さん、普段はどんな場所にいらっしゃるんですか?」と来た日には、リアクションに困らないだろうか。
新手の口説きの戦法か、もしくは相手がタダの変人か、あるいはよほど自分がその職業やその場所や装っている外見とは不釣り合いな本質を醸し出しているか(例えばSM好きだったり熱烈な競艇ファンだったり副業が覆面レスラーだったり極端に反社会的だったりする真の自分の姿が、気づかないうちにうっかり露呈しているのではないか・・など)・・・・、のどれかではないかと一瞬の間に目まぐるしく考えてみる。しかし、多くの場合、真の姿が覆面レスラーだった!などということは非常に稀であろうし、結局は平和で平凡でバカ正直な「事実」を用心深く小声で答えてしまうのではないだろうか。
そしていぶかし気に「バカ正直な事実」を答えている最中も、
「この相手は誰も知らないような私の秘密を知っているのではないか」
と、別にとりたてて大した秘密を隠し持っているわけでもないのに過度な警戒心から一瞬身構えた己の自意識を少し恥ずかしく思い、そんな自分の心の内側を悟られてはなるまいと体裁を整えながらもやっぱり合点がいかず、挙げ句にはこんな突然の間の抜けた質問のせいでこの十秒程の間に自分の気持ちが激しく右往左往させられたことに対して急に理不尽な気分になったりするのではないだろうか。
二人が向かい合っている時間や場所や体調にもよると思う。しかしほぼ初対面の相手にいくらなんでも「普段はどういうトコロにいるのですか」という質問は、百歩譲ったとしても、おかしい。客観的に考えて、多くの方が「それはおかしい」という私の意見に同意してくださると思う。それに現実味が乏しいと感じる方もいるのではないだろうか。
しかし、私は実際そんなおかしな質問を何度も違う人間(男性)から受けているのだ。

 推測するに、質問した男性は、人間というものがとても好きなのだろう。それも相手の個性に深く触れることが好きで、相手の「感性のアンテナ」や「趣向の偏り」を感じることで相手を知ってゆくのだろう。そのためには「場所」とは相手を知るのに、成る程便利なカテゴリーかも知れない。それが「店」ならば、流行への関心度や仲間の傾向、金銭感覚まで分析できる。
しかしこの場合、そうしたデータ解析というよりは、「温度」「匂い」「湿度」のような、肌で感じる、鼻腔でかすかに嗅ぎとれる気配、意識の交流(ちょっと怖いかも・・)、のような、とてもデリケートな情報を求めているのだと思う。
なにか縁あって、こうしてお話しする機会を持っているのだから、表面的なことではなく、もっと感覚的で抽象的なエリアで言葉を交わしたい、「対話」を求めている、ということなのだろう。
彼は相手の抽象的認識力を信じている、それも勘違いの自己陶酔ではなく。
もしそうであれば・・・。
いささか誠実すぎる。中途半端に金銭事情がシビアに絡むこの音楽業界を逞しく泳ぎ抜く諸先輩方に揉まれながら、ぎりぎりマイペースで雑多に生きている私のような人間からすれば、もう勘弁して欲しいくらいの誠実さだ。もっともその誠実さゆえに、先の唐突な質問がスルリと口をついて自然に出て来たのだろうが、そんな会話が許されるのは、質問者と同じく相手も同等の誠実さを持ち合わせている場合だけだ。もしも私がただの嘘つきとか見栄っ張りの類いだったら、いったいどうするつもりなのだろうか。相手のこともよく知らないうちからそんな無防備な質問を放っておいて、どう会話に決着をつけるのだろう。
それとも私が音楽家だから、ピュアで誠実な人間に違い無いと決めてかかっているのか。

 音楽家だからピュアである、という図式は、残念ながら成立しない。ピュアであることには違いないが、それはけがれを知らないということではなく、あえて言えば無垢でありたい部分を意識的に残す努力を惜しまないということで、大変なバランス感覚を要する離れ業だ。自分の才能や能力を積極的に金銭に換算するこの不思議な世界に生きて心の透明度を維持するには、まず強さとそれを支える豊かな資質が必要。それを持たない人間がよこしまな競争心をひとかけらでも秘めようものなら、たちまち身も心も作品も、生臭さと戦いのストレスに占領されてしまうだろう。清濁ひっくるめてきちんと知り、その上ですべてを赦す行為にも似ている・・・なんて書くとご大層だが、一朝一夕には身につくものではなく、その奥義をきわめた人など私のまわりには一人もいない。もちろん私だってまだまだヒヨッ子の部類なのだ。どんなに素晴らしい作品を生み出した音楽家も多かれ少なかれ生臭かったり脂ぎっていてがっかりすることはあるけれど、それはプロフェッショナルである以上、仕方のない部分なのかも知れない。
経験を積むほどに透明度と無邪気さを増すような音楽家像に少しでも近づきたいものだ。

・・・・と、話しが横道にそれたが、とにかくピュアと一言では片付けられない音楽家稼業の私と近年珍しい誠実青年の会話は、結局冒頭のようなものになったのだった。
会話は噛み合わず、私は当然落ち着かなかったが、彼にしてみればむしろホッとしたのではないかと、後になってみて思った。よほど親しい間柄でもない限り、やはり適度に居心地が悪く、弾むようで弾まない、遠慮という美徳に守られた中での誠意ある会話にとどめておいた方が、色んな意味で好ましい。
しかしひょっとすると彼が無防備に見せた誠実さは私が導いたものかもしれず、彼にとっても思いがけない会話の展開だったとしたら・・という考えが首をもたげてきた。
ある妙な出来事を思い出してしまったのだ。

 もう何年も前のことだが、知人を介してある人物と食事をすることになった。私と初対面のその人物は大変な資産家の御曹子らしく、同席していた知人がとても気を遣っている。大人物に対して普段あまり臆することのない知人の過度な気遣いにも少々驚いたし、そもそもその日はどうも嫌な予感がしてはいたのだ。
その御曹子の行きつけのレストランで食事をいただきながら談笑しているうちは何事もなかったが、食事を終え、場所を彼の家に移してお酒でもいかがですかという誘いに二つ返事で承諾する知人に説き伏せられるように同行し、彼の家の居間で飲み直し始めたあたりから様子が一変する。
まず彼の喋り口調が幼くなり、唐突に人を驚かせるような行動が多くなる。知人は椅子に座ったまま居眠りを始めてしまうし、仕方が無いので当たり障り無い程度に彼の話し相手を続けていたが、退行がどんどんひどくなっていったので不味いことになったなぁと途方に暮れながらも、試しに子どもに対するように話しかけてみる。と、これが最大級に相手を安心させてしまったようで、ますます心を開いて完全な幼児になっている。大した酒量ではなかったはずなので、酩酊の末の悪癖ではないだろう。
私より年上であろう立派な青年実業家のその男性は、いかにも楽しそうに子どもっぽい仕種をまじえながら幼児の言葉でとつとつと話すのだが、その話しの複雑さと口調のたどたどしさのギャップに、保母さん気取りで相づちをうっていた私は、本当に恐ろしくなっていた。
あまつさえ夜も更けてきて、閑静な高級住宅地の片隅で幼児と化した謎の男との不思議な対話をいつまでも続けているわけにはいかず、知人が一瞬目を醒ましたタイミングでとにかく酒宴をお開きにし、一刻も早く帰宅したいと意思表示した。
彼はすっかり尋常な成人男子に戻っており、紳士らしく私達のためにタクシーを呼んでくれた。
タクシーを待つ十数分の間、知人がトイレに立った隙にさきほどの「対話」のことを憶えているのかと彼に尋ねてみたが、どうも反応が妙で、憶えているのだろうが自分とは切り離した別人の行動の記憶でもあるかのような不思議な答えが返ってきた。
私に心を開いたことに対して動揺しているようでもあったし、なぜそんなことになったのか、自分でもよくわからないようだった。そんな状態を引き出してしまった私を責めているようでもあった。
退行癖には覚えがあるらしく、彼の心の中の景色はだいぶ深刻なのだろうと思い、真面目にカウンセリングが必要なのではないかと進言した。途端に彼の表情は強ばり、それきり黙ってしまった。
折よく到着したタクシーに急いで乗り込み、とにかく食事の礼だけを述べて一目散に退散した感じだった。帰路中、彼の奇行をまったく信じない知人に腹が立ったが、もしそれが本当であるなら彼の潜在的な姿を引きずり出してしまったのは他でもない私じゃあないかと言われ、どうにもやりきれない気持ちになってしまった。確かにそうであったかもしれないのだ。
────他人の心の中に入っていく。入らないまでも、一つの想いが心の内側から外に向かう手助けをする。流れ出るものを気持ちよく流れ出させてあげる。私の音や声や言葉やピアノをどうにでも自由に感じてうんと遠くまで流れて行って欲しい。
人前で演奏するときはそんな思いを抱きながら演奏することがよくあるのだが、こんな形で他人の、しかもその人間だけに意味のある、複雑に入りくんだ心の回路に無責任に分け入ってしまったことを心底後悔した。
その人物とはそれ以後会っていないし、彼も私が何をする者なのか詳しくは知らないだろう。幸いなことだ。
誠実さをもって他人と対話するのは、あっけないほど簡単で、難しい。

(了)-2003.4.20-