第3回 『マメな人』
 マメな人になりたい。
それが無理ならマメな人の親友とまではいかなくともお近づきになりたい。
小さい頃から根気よく何かに励むのが割と好きだが、マメではない。

マメではないから一旦はじめると最後まで励み続ける。
途中で終え、また始めるのが、はっきり言って面倒臭いのだ。
「何度も御飯の支度をするくらいなら一度に大勢分の御飯をこしらえる方が気が楽」 と考えるのにも似ている。

世間をながめていると、マメな人というのは他者が認めるその人物像に誤解が少ない。
マメにコミュニケーションを持つためだろう。
過小にも過大にもその評価が片寄ることが無く、ひらたく言えば「あやしい」「曖昧な」「胡散臭い」部分がない。わずかな認識の食い違いもマメにコンタクトをとっていればすぐに修正可能だ。

物見高い人たちによって面白半分に流される自分の良からぬ噂や、周りの人間の知られざる一面など、 いろんな場所にマメに首を突っ込んでいれば情報をつかまえやすいし対処も速い。
根も葉も無い誤解ならばその場で打ち消すこともできる。

なによりマメに顔を出すのだから忘れられることがない。
故に気がついた時には人々からどことなく安心される存在となっている。
サラリーマンならばこのマメさが必須要素なのだろうが、全員が全員マメに生まれついているわけではないし、優秀さとは別の才能だ。

私にも以前はマメな友人知人が多かったように思う。
今の仕事をはじめる以前、周りにはマメな才能にめぐまれた人たちが沢山いた。
時代もマメなオーラに満ちていたしマメであることに前向きな活気に包まれていた。
当時の私は就職もせずに映画や展覧会に行き放題の怠惰な生活を満喫していたので、マメな友人は 不憫に思ったのだろう。アルバイトを紹介してくれたり飲みに連れ出し てくれたり、その種のマメな 人々とお付き合いがあったのだ。
残念なことに、アルバイトらしいアルバイトに就くことはなかったが。

彼等の目には、働けば働いただけお金になるこんな時代に何もせずどこにも所属せず、平日の午前中から映画館の暗闇に好んで浸っているような小娘が、さぞかし珍しい生き物のように映ったことだろう。
こんな放蕩娘に物理面においてのみならず最大限の理解を示してくれた私の両親のことも不思議に思った だろうが、一番の不思議は崖っぷち状態のはずの私があいかわらず呑気に暮らしていることだったに違いない。

私の奇妙な余裕が、ともすれば彼等をイラつかせ、マメな思考回路を少しは滞らせたかもしれない。 彼等の慎重な言葉選びに私の心が、マメであることの意外な気難しさを嗅ぎとったのかもしれない。 マメな人は概してイイ人だが、心の中のほんの小さなささくれすら隠すことができない。
生きる場所が違うのだ、と彼等との交流が途絶えはじめた頃、私の音楽活動がやっと本格化しはじめた。

アルバムをリリースし、そのアルバムを聴いたコマーシャル関係者から曲を依頼され、そのコマーシャルを 聴いた別の関係者が電話をかけてきて・・・という具合に、ごくごく短い期間で仕事関係の人脈が飛躍的に拡がった。バブルの最盛期は過ぎていたが業界そのものには未だ勢いがあふれていた。会う人会う人みな 好意的で私がCM造りの初心者にもかかわらず辛抱強くおつき合い頂き、おかげさまでとても楽しく仕事を することが出来た。
肝心な節目には助けてくれる方が決まってそのつど出現し、仕事まわりでストレスはほとんど感じたことが無い。

 こんな状況を「恵まれている」と云わずして何としよう。

呑気な気質が災いして次のアルバムを出すまでに9年もかかってしまったが、それだって自由にやりたい放題だ。 とても不安定な音楽の世界に棲みつづける不安は無くもないが、とにかく造っていくしかないだろう。
健康でありさえすればどうにでもなる・・・と、マメではないが飽くまで呑気なのだ。    

最近になって、かつて自分を取りまいていた環境を懐かしく思うことがある。

あの映画館の薄暗闇で嗅いだ埃の匂いやフィルムのはぜる音、誰もが微熱の靄の中に漂い浮いているかのような日々、愛すべきマメな人々・・・。私の中にヒリヒリとする
奇妙なかたちの心地よい傷跡をひっそりと残したひとつの時代。
その時代のさなか、ゆっくりと私の心の中を通り過ぎていった彼等といつかまた交わる日が来ることを、本当はどこかで待ち望んでいるのかもしれない。

(了) -1999.9.15-