第9回 『魔女鍋』

秋だから、なのだろうか。
昔の友人と会う機会がやたら多い。

昔と言っても大学時代の事なので、時間の経過具合から考えても見違えるほど姿形が変化しているわけでは無い。
犯罪に手を染めたり、怪しげな宗教団体の幹部になったり、ホームレスになったり、その種の噂で旧友達を賑わしているらしき友人が取りあえずは居ないようなので、安心している。

安心するというのも変だが、例えばある日突然「今すぐ保釈金○○○万円を持参の上、××氏の身柄を引受けに△△署までお越し願いたい」という電話がかかって来たとしたら、当然のことながら穏やかではないだろう。
そんな事は、やっぱり無い方が良いに決まっている。
特に近況を報告し合わずとも、穏やかな暮らし振りが伝わって来るような仲間たち。
お互いを探り合う心配が不要な友人達の集いほど、ほっとさせられるものは無い。

 同じ時間軸を生きている、ということは私と同様、彼等もこの平和な30数年を共有している。
世の中があまりに平和なため、自分を突き動かすハプニングは常に自分自身の中にあった。
他人も、場所も、事件も、時代も、親も、実はどこか無縁で、いつも自分にとっての「出来事」の発端は自分自身だったように思う。
この感覚はおそらく今現在37歳の私を含む、ある年齢層に特有のものだ。感動やアンテナの共通項が無く、てんでバラバラ。
無軌道だが真面目で、スタンドプレーは好まない。
なにか暴れたい者は、その根を何処からか見つけて来る。
何でもいいから出鱈目に植え付けた後は自分の体を苗床に、じっくり育むのだ。
そうして充分に育った出所不明、原因不明の立派な「動機」に背中を押されて、知らないうちに楽しく暴れる。
少なくとも、私はそうだった。

 久しぶりの旧友との再会は、楽しく暴れてきた数々の記憶を呼び覚ます。
ああ、こんな事もあった、あんな事もあった、と中には恥ずかしくなるほど破天荒な行いも多々あるが、過ぎてしまった事は悔いても仕方が無い。
楽しく暴れたのだから、楽しく忘れるに限る。

 そんな頃の、まだフニャフニャの若造時代。 その時代に居合わせた人々の証言から、意外な自分像が浮かび上がることがある。例えば、私は 身長が155cm。平均よりやや小柄な体格なのだが、A子さん曰く170cmはある大女だと思って いた・・・とか。また、キャーキャー明るく暴れていたはずが、B美さん曰くとっても大人びた 女の匂いを振り撒いていた・・・とか。
自ら脳裏に定着させた過去の自分のイメージとはかなりかけ離れた要素が、次々と出て来てしまったのだ。

 誰にでもある事なのだろうが、これがかなり面白い。
大女説の場合、相手はおそらく私の履くハイヒールによって見事に錯覚にはまったのだ。
しかし通学に支障の無いヒールの高さはせいぜい8cmが限界だろう。155cmの小柄な女が170cmの 大女に変身するには、昨今のような凄まじい厚底靴の出現を待たねばならない。

何故そんなに簡単に騙されたのか、と相手を責めるより、私の顔つき、態度や口調など、すべてが大女のそれだったのだ、今思い返すと。
そういえば当時好んで歌っていた歌もチャカ・カーンやアレサ・フランクリンなど大姐御連中のものが多かった。信じてもらえないかも知れないが、声も今のようなアニメ声もどき(嫌な形容!)とは程遠い、そこはかと無くドスの効いた渋い声だったのだ。私が89年にファーストアルバムをリリースした時、そのCDを聴いた何人かの友達は椅子から落ちそうになったと言う。アナログ盤ならば回転数が間違っているのではないか、という類いのズッコケに近いのか。
ある時は力強くファンキーに、又ある時はけだるいソウルフルスキャットが繰り広げる魅惑のアーバン ポップスを期待したに違い無い。
気の毒。

 なるほど、モンタージュ写真の様に繋ぎ終えた全体像は確かに当時のその年頃のトレンドを完全に無視した謎の代物で、「明るく楽しく健全だった」という私の不確かな記憶を大幅に拭い去ってしまった。
ある面、彼等の証言は正しかったという事になる。
長年来の友人は、我が身を振り返る意味において、とても大切だ。  

 まだ私が働きもせず呑気に歌作りに明け暮れていた時分、同じくアルバムデビューを夢見る一人の青年と知り合った。ソングライティングのセンスや独特の歌声も十二分に彼の魅力だったが、決して日の目を見ないであろうしかし特筆に値する「或る才能」が、彼にはあった。
架空のディスコグラフィを創作することだ。
その当時彼の周りにいたミュージシャンの、殆どのアルバムのジャケットデザインから曲目、音楽の方向性に至るまで、暇さえあれば考えていた。それも捨てるつもりの用済のコピー紙の裏とか、包装紙の切れ端などに、ちまちまと真剣な面持ちで着実に書きすすめてゆく。

お陰様で、私なぞその時点で既に2枚のアルバムを出した事になっていたのだ。
満を持して発表された記念すべき一枚目は、タイトル『魔女鍋』。
収録されていた曲は「森でぐるぐる」「私を埋めて」「女王とけらい」「鳩よ!」など、全10曲。
しかしメーカーの期待に添えずセールスは伸びなかった、という筋書き。契約が残っていた為もう一枚作ることになり、思いきって方向性をガラリと変えた、入魂の第2弾 『コンゴ!』。表ジャケットには、大爆発する火山をバックに正面を見据えた顔グロの私・・・。
彼の素晴らしい洞察力、というか、この場合は捏造性と言うべきだろうか。

しかし当時の私を顕わす貴重な資料には違い無い。
ちなみに彼のバンドは後にアルバムデビューを果たす。
これは架空の出来事ではなく、現実のお話。
母の日に捧げる花と同名のそのバンドは、もう立派な中堅として活躍中だ。

 それにしても、あの幻のディスコグラフィ。
もしまだ存在するのなら、いつの日か一挙に公開して欲しいものだ。
それともあやふやな記憶の中に存在しているからこそ、より魅力的なのだろうか。
過去の出来事を余りに正確に認識することなど、本当は必要の無い事なのかも知れない。
私の最近のお気に入りは、何故か途中までしか思い出せずにいる朧げな記憶に浸っている事だ。
どこか眠た気で、切なくて、なんだか未来が有る。
とても気に入っている。                          

(了) -1999.10.26-