2002年11月6日水曜日 夜の冷気に耐えられなくて、朝が白い息を吐くと、木漏れ日を浴びようとして草の葉が残り少ない命をけずりながら、上を向く。しかしそこにはぶ厚い11月の雲がたれ込めるだけで光はなかった。朝がいつまでも白い息を吐いていると静かな午後がやって来た。それは朝が夜になる通 り道でしかなく、思考も想像も止まった時間だった。この11月という季節はその止まった時間が最も美しく見える。

女主人Dがやっと「いない、いない、ばあっ」毛布を洗ってくれた。それは息子バクの物でもなく、もちろん男主人Hの物でもない。わたしの物だ。廃虚と化した居間の黒いソファに今毛布は敷かれていて、わたしは午前中にはその場所を陣取る。そして午後4時近くまで眠る。
男主人Hが昼過ぎに起きて来てわたしを見て言った。「おい、もう歳なのか、元気がないみたいだなあ、耳の裏をみせてごらん、熱はないぞ、鼻はどうかな、しっかり濡れている、そうか、ただ眠いだけか」
そう納得しながらコーヒーを入れ出した。わたしを散々いじくりまわした挙げ句、「ただ眠いだけ」という陳腐な結論。実際眠いだけだったが、そうじゃなかったとしても彼の結論は同じだったろうことは、簡単に推察できる。別 に悲観しているわけじゃない。そうやって簡単に思ってくれることが重荷にもならず一番なのだ。

ハドソン

 


 

2002年10月17日木曜日 いつになく寒い日、気持ちは萎えていた。いつになく遠い空に、風をみてしまった。 はじきかえされるような町の弾力と、吸い込まれるような地下駅の入り口に立って、どこへも行けない自分がいる。 誰かに伝えたいと思っていることはちゃんと伝わっているんだろうか。景色だけがどんどん変わってゆく。

いつものようにシャボテン公園のワニみたいに、じっと一日を過ごそうとしていたら、すがすがしい秋の夕映えのせいか、我が息子バクの一生懸命に生きている姿を見て、おぞましく感じた。この子の生命力の無垢さ加減ときたら、憎らしいぐらいだ。わたしにそんな単純さがあったとしたら、玄関の呼鈴を押す人すべてを悪人のように吠えつくこともしないのだろう。でもそれがわたしの役目でもある。はなっから悪い奴なんていないと思うけれど、善い奴もいない。そんな曖昧さをはっきりさせたいからわたしは吠える。死ぬ までそれは変わらないだろう。

ハドソン

 

 

2002年7月17日水曜日 二つの嵐で運河の水が満タンになると、対岸のモノレールが近く感じられる。係留された小舟に巣くう鼠たちや金網にとまるカラスたちはことの成り行きをジッと見つめている。水がゆっくりと引いてゆくよりも速く、灼熱の夏の光が雲を割って降り注いできた。

ここんところ朝4時半になると、男主人Hは息子のバクを無理矢理起こし自転車散歩に出かける。彼等はどうも埠頭まで行っているようだ。わたしも若い頃よく行った。一度海に落ちかけたこともあるから、あまり好きな場所ではないが、水の匂いを嗅ぐと開放的な気分になれてうれしかったのを思い出す。Hはバクの胴体をまさぐり「よし、よし、だいぶスリムになった、朝の散歩のせいだな」と満足そうにしている。しかし犬だって夏痩せはするのだ。バクは自転車散歩から帰ると死んでいる。しかも息を荒げて、目はぐるぐる回り、涎は頭のてっぺんにまではねあがっている。はたして楽しいのだろうか?と疑問に思うが今のところ喜んで出かけてゆくから何も言うまい。当然わたしは二階の隅に隠れて「絶対、行かないぞ」という意思表示をしているから、男主人Hはちょっとさびしそうにして朝風呂に沈んでゆく。 

ハドソン

 

 

2002年5月15日水曜日 乾いた花が生き返るのはこんな雨の日だ。 雨戸を閉めても遠い埠頭に降る雨の音が聞こえる。高速道路の下の道に時折、大きな雨が降る。それは本当に大きな雨が。カラスや鳩はとてもいたたまれないという顔をして高架下の暗がりに隠れている。

2、3日女主人Dが不在だった。わたしはどうもおちつかない。理由がなんであるかなんてさっぱりわからないが、とにかく眠りも浅いし、暗い廊下をうろうろしてしまうのだ。男主人は男主人で彼女が不在だとひどい食事をとっている。コンビニの菓子パンを6個ほど食べ続ける一日だったり、駅前の商店街の10メートル手前から見たら美人かなと思える姉妹が焼いているお好み焼きと今川焼きだけの一日だったりとひどいものだ。そんなものを食べながらTV番組「ごくせん」を見て喜んでいるこの男は、決して長生きはしないな、とおちつかない気持ちになるのだ。 わたしは毎日毎日同じドッグフードを美味しくたいらげる。それで少し太っているけれど健康だ。男主人のように食に興味がなくても人間にもそんな食べ物があれば、健康でいられるんだろう。 

ハドソン

 

 

2002年4月10日水曜日 夜になると壁が啼く。きゅうっ、きゅうっと湿気に締めつけられながら。昼間の乾いた風を懐かしんでいるようだ。この時期、つま先の冷たい椅子たちは人を拒絶するように部屋の中にたたずむ。

午前11時頃、ここ2、3日男主人Hは必ずベッドからはい出して来る。午後4時までは眠れる男なのにどうしたのかと薄目を開けて見ていると、びっしょり濡れたTシャツを脱ぎ捨ててタオルで身体を拭いている。どうも寝汗で起きるようなのだ。彼はそのままパンツ一枚で煙草を吸って、おもむろに2枚目のTシャツを着てまた眠ろうとベッドにもぐり込むが、どうもなかなか寝つけないらしい。わたしにとってどうでもいいことだが、このあわただしさは尋常じゃあない。
男主人Hはその異常さに気付いてさっそくネットで寝汗を調べていた。そこに「肺結核」という文字を見て彼は女主人Dを急いで起こした。「オレは労咳かもしれないぞ、もう永くないぜ」
大正時代や終戦直後じゃあるまいし、そんな病いで死ぬ人間はもうほとんどいないのに、彼はひとりで結核患者になりきってしまった。
面白いことになりきってしまうと寝汗をかかなくなったようで、今はわたしと息子の食事も忘れて平気で夕方5時過ぎまで寝ていたりする。まあ、このまま「肺結核」騒ぎがおさまってくれるのをわたしは心から望むだけだが、女主人Dは鼻っからつきあっていなかったようだ。
それを考えるとちょっと彼が哀れに見えたりもした。 

ハドソン

 

 

2002年3月21日木曜日  南西からの強い風がいくつもの建物に当たり、何本かの川を渡ってこの町に到来すると、もう海の表面はひりひりと細かくいら立ち、いてもたってもいられないようだ。しかし生ぬるい水は何処へも行けず、ただ船溜まりの小舟をゆらす。

とにかく暖かい。だからとても眠い。前と後の脚に力が入らない。ただでさえわたしの胴回りは他犬より太いし、体毛も長いからこうしてだらだらしているとまるででっかい毛玉のようなのだ。しかし気持ちのいい季節であることには変わらない。息子のバクは床を涎で濡らしながら眠っている。
ふと午睡から目覚めてみると夕方の5時だった。そういえば腹もすいている。一日一回の飯の時間だ。そう思いながら男主人Hを探したら、彼は堂々とベッドの上でいびきをかいていた。このままにしておくとわたしが餓死する前にこの男は眠死するだろう。そんな幸せな死に方はないのかもしれないが、今はちょっと困る。せいぜいわたしと息子に食事を与えてからにして欲しいものだ。なんてつまらぬ ことを考えていたら、棺桶から蘇るドラキュラ伯爵のように彼はベッドからむっくと起き上がり「飯だぞ」と死人のような声で言った。まあ状況はどうであれ、わたしと息子はこの春の日、無事に飯にありつけたということだ。ちなみに男主人Hはそれからゆっくり顔を洗い、丁寧にコーヒーをいれて、ぼーっと大相撲をテレビ観戦していた。

ハドソン

 

 

2002年2月7日木曜日 

玄関を出てT字路を右に曲がると坂道の上にいつも行く川を埋め立てた公園がある。坂を登りながら振り返ると燃えるように光る東京タワーが見えるのにきょうは跡形もない。真上の星は輝いているからきっと誰かのさしがねで電飾を止められたに違いない。どこか淋しい暖かい冬の夕方、そんなことを考えながら黙々と歩いた。
最近どうも男主人Hの様子がおかしい。虚空を見つめぼうっとしていたり深夜のテレビ映画を朝方までじっと見ていたり、トイレで煙草を2本吸うのはいつもと変わりないが、突然本を読んだり音楽を聞いたりしている。彼がいままで過ごしてきたようにだらだらと時間をつぶせばいいのにどこか生き急いでいる風なのだ。この無職の男はまさか自分のこれまでの人生をかえりみているのではないだろうな、と心配になる。わたしの経験ではそんなとき人間という生き物はとんでもない方へ転がっていくことが多い。わたしは今の生活で充分だから男主人よ、転がるなら孤独にひとりで転がってもらいたい。でももう少し彼の足元に寝っ転がって様子を見ていてあげよう。

ハドソン

 

 

2002年2月5日火曜日 

水門近くの船溜まりに無数の輪を作るほど降る雨ならば覚悟はするものの今日のそれは細い枯れ木にまとわりつく水滴ほどのもので、町は十分に濡れきっていなかった。
わたしの鼻先に落ちた雨粒はしかし確かに梅の香りを包んでいて、もう、じきに冬が終わることを諭してくれる。 わたしや息子のバクのような家犬はほぼ一定の室温の中にいるので体毛が一年中いつも抜け落ちる。外犬は木枯らしの中で身を引き締めるためこの時期毛が抜けない。
わたしはなんとか辛うじて飛ぶように走ることが出来るが、息子のバクはそれが出来ない。男主人Hが自転車でスピードを上げるとバクは走るのではなくただ歩くのを速くするだけだという。どうも太りすぎた腹が後ろ脚の動きを邪魔しているらしい。わが子よ、天真爛漫もいいが食べ過ぎには注意せよ。太ったまま死ぬ のは腐敗しやすく見てくれも悪い。いかにも死にましたよと痩せた身体を放り出せるように生きよう。

ハドソン

 

 

2002年2月3日日曜日 

定まらない気温の中で、むやみに首を出さない方がいいと考えてのことか、蕾の匂いがしない。昼の陽光は暖かくとも、それを斜めにしてしまう風は冷たい。防波堤をよじ登ると、廃液を溜めた静かな運河が密かにメタンの息を吐く。モノレールは出口のない海底トンネルへ沈んで行く。
この景色は目に焼き付いてしまった。どんなにこの場所が変わろうとも、わたしが歳をとり目が見えなくなろうとも、すぐに思い出せる場所。家がなくなってもひとりでここへだけは来ることが出来るだろう。男主人Hや女主人Dがいなくなっても、この防波堤の上に飛び乗り、海に吠えることは出来る。
そんな感傷的な冬の1日。でもやっぱり飯喰って寝よう。

ハドソン

 

 

2002年1月13日日曜日 

冬場は二階の部屋にある薄汚れた毛布の上で眠るのが一番気持ち良い。 ちょうど男主人Hの足元なので、彼が坐る椅子の脚に額をくっつけるのだ。すると人間の心のざわめきが感じられて何故かほっとする。特に男主人Hは無駄 なほど心をいつもざわつかせているから、飽きないで眠ることができる。たまに彼はコーヒーをわたしの耳元にこぼしたりするけれど、まあそれぐらいは許してあげよう。

毛布の大きさはわたしの1.5倍しかない。そこへ知らぬ 間に親より一回りも大きくなった息子のバクが、重なるように寝ていたりすると、わたしは本当にうっとうしい気持ちで唸る。しかしノウテンキな息子はなんにも気付いてくれない。ましてや女主人Dにいたっては、
「見て、見て、おんなじ格好で寝てるわよ、かわいいわねえ、中国の列車の中みたいで」
などと訳のわからないことを言って、デジカメのシャッターを押す。わたしはそんなとき、より深い眠りに入り込んだぞと言わんばかりに、身体を反転させるのだ。
ちなみに薄汚れた毛布には「いない、いない、ばあっ」という字がくっきりと書かれてある。

ハドソン

 

 

2002年1月8日火曜日 

この正月という時期は酔っぱらった客が多くて困る。何かというとわたしの体に触れようとするから、吠えついてやるのだ。きっと「なんてとっつきにくい犬なんだ」と怒って帰路につく客もいるだろうが、所詮わたしの客じゃないからどうでもいい。その点息子のバクは人間当たりがいい。彼は誰の顔でも適当になめて尻尾を振っている。その節操の無さが実に犬らしいのだろう。こんなわたしからあのような性格の息子が存在していることに、自然界の不思議を感じずにはいられない。いや、待った。わたしは「親」という認識を持ったことがあるのだろうか。かなり自信が無い。

つい人間のように、年明けという区切りに過去を振り返ってしまったけれど、わたしはいつものように寝ては男主人Hの手をなめる生活を送っていくだろう。いつか彼の手のひらから、運命線も生命線も消えていくにちがいない。

ハドソン

 

 

久しぶりの2001年11月29日木曜日の日記

言い訳ではないが、わたしの日記の更新は男主人Hにかかっている。 彼がテレビの前で非生産的な毎日を過ごすか、旅などで東京にいない日々が続けば、日記は更新されない。なぜならば旧式のパソコンの電源をわたしはonできないのだ。毛むくじゃらの太い指が机の裏までまわらない。書きたいことはいっぱいあったのに、そんなこんなで時 間が過ぎて忘れてしまった。 しかしHという人間はどこまでも非社会的である。この地球上に息をしているかぎり、ハエでもゴキブリでも、ペンペン草でもたんぽぽでも或る日常の景色に馴染もうと努力しながら一生を終えるのに、彼はただただ、ちょっと離れた町にドッグフードを15キロも買いに行き、わたしとバクの食事を作り、たまに風呂を洗ったりして毎日を過ごし ている。飼われている身ながら彼の先行きが心配になる。でもそういうわたしもレスキュー犬ではないので、1日18時間ぐらい寝ているから何も他人のことは言えないのだけれど。 これから窓に夜露がしたたるようになると、ぐっと身体を丸くしていい夢が見れそうだ。戦争などしている馬鹿どもに、この安らぎを教えてやりたいよ。

ハドソン

 

 

2001年9月6日木曜日 ようするに、きみにはこの朝靄の森が見えないのだ。腕についた水滴よりも小さな蒸気のような湿りが、単なる汗ではなく秋そのものであると、誰にも教えられずに何十才も歳をとってしまった。これは明らかな不幸だ。今からでも遅くない。頭をかきむしるより前に、静かな秋をじっとひとりで感じよう。

24歳になる男主人Hの娘Aが、突然玄関の踊り場下を片づけ始めた。彼女の行動はいつも唐突で先が読めない。わたしと息子がゆっくりと昼寝をする場所も騒々しい。いらない物が廊下に並べられてなんだかうっとうしい。こんな築五十年以上の家の一部を片づけたからといって、失業率が下がるわけでもないのにと思いながら、二階に避難して眺めていた。案の定、いじらなくてもいいところをいじったものだから、家に巣くういろんな虫までも避難してきてしまった。今この家に住む生き物たちは、ぽりぽりぽりぽりと手や足や背中を掻いている。                     

ハドソン

 

 

2001年8月15日水曜日 この日はいつも絵に描いたような青空である。まるで葬式の日に焼き場で見る青空と同じような、張り付いた青で深みがない。ただ人は灰になっただけなのだった。それを風が散らして無にしてしまった。魂などという残骸があったら、空はこんなに青くない。亡者たちで溢れて、陽も通 らない暗い白昼夢に怯えることだろう。

午後0時、突然サイレンが鳴った。おもむろに椅子に座る男主人Hを見たら、大きなあくびをしている。戦後一桁生まれの男主人Hにしてみれば、こんな敗戦記念日はどうでもよかった。ただわたしの頭をポンポンと叩きながら言った。「ハドは多分勝った側の犬だな、おれは勝ってもいないし負けてもいない側だ、ひとつ面 白いことを教えてやろう、日本のどこかにまだ戦争をしている、または戦争に勝ったと信じている人々がいて、集落をつくっているらしい。それを勝ち組と言うんだとさ、さっきのサイレンが聞こえないのかね」いつになくペラペラ喋る男主人Hの話を聞いていたら眠くなってしまった。ふとベッドを見たら案の定、女主人Dはいつものように万歳をして眠っていた。

ハドソン

 

 

2001年8月12日日曜日 やけに涼しい八月の夜に無理矢理夏を感じようと近くの公園で氷水をかじった。耳元からバタバタとカラスが飛び立ち、みっしりと葉をつけた木のてっぺんでひと鳴きした。なにがどうなろうと蝉は死に土になる。土は雨に流れ排水溝から海に吐き出される。夏はその海を吸い上げる。

近頃、男主人は忙しいらしくあまり家にいない。きっとまたくだらない道楽音楽でもやっているんだろう。朝方服をヤニ臭くして帰ってくるなり、大い びきをかいて眠ってしまう。すると女主人はあまりにも大きないびきなものだから眠れなくなり、怒る。そして火曜サスペンス劇場の殺人者のように、男主人の顔に枕を押しつけたりする。わたしはベッドの横でじっと寝たふりをするしかない。サブタイトル「愛犬だけが見ていた」てな具合だろうか。

ハドソン

 

 

2001年7月5日木曜日 蒸発する夜露が雲になるのがわかる朝、風は川に沿って川下に流れている。河原の草木の匂いを巻き込みながら、海に近くなるほど風は大きくなっていった。

午前2時半、突然わたしと息子バクは女主人に起こされた。眠い目を床にこすっていると、じゃらじゃらと鎖の音がした。そのままわたしたちは男主人の車の後部座席に乗せられた。こんな夜中にどこへ連れていかれるんだ、強制収容所じゃないだろうな、などと一瞬考えたがわたしたち親子は大の車好きなものだから、あっという間に窓外の景色の虜となってしまった。 明けきらない朝の中、40分ほど走って広大な草地に着いた。遠くにぼんやりと鉄橋が 見える。鼻の中にすぐ水の匂いが飛び込んできた。とにかくわたしはうれしくなって、草に背中をこすりつけた。息子はわたし以上に興奮して、あちこちに小便をしている。そしてこんな場所に朝っぱらから連れて来られた理由は、女主人の撮影のお供であった。

陽が鉄橋の下から顔を出そうと準備し始めたころ、広大な草地にぽつりぽつりと人影が動く。ゆっくりと、一定の速度で、ひとつひとつの人影が交わることはない。背は丸く、青白く老いた膝は不安定に揺れる。人間は不思議な動物だ。年老いると早朝徘徊する。わたしと息子バクは早々に男主人の車に乗り込み、賽の河原をあとにした。               

ハドソン

 

 

2001年6月29日金曜日 

汗でべたついた腕に蚊がへばりついた。小さな腹に血を溜めて行くのが見える。充分に吸わしてから一発の平手打ちでつぶそうと思っていたら、部屋の片隅の暗闇に飛んでいった。腕の痒みをじっと我慢して煙草を吸うと、七月が近づいて来るのがわかる。何も変わらず、退屈な日々だけれど、夏は勝手にやってきてしまう。首に巻いたタオルで額を拭いた。

ハドソン

 

 

2001年6月27日水曜日 朝が暑いもやの中で窒息しそうな日、カラスは無造作に建てられた電信柱のてっぺんで虫を喰っている。都市は目に見えない巨大な塀に囲まれたように風が吹かない。手のひらにある空気はいつまでもそこにあって、腐ってしまいそうだ。

わたしは無駄が嫌いだ。無駄に起きていれば必要以上に食べなければならないし、無駄 に食べればトイレの回数が多くなる。外に出るのは好きだが、一度出てしまうとどうしても公園の真ん中で仰向けになってしまう。これは本能で避けようのないことなのだ。しかし無駄 に寝転がると頻繁に風呂に入らなくてはならない。わたしの体毛を泡立てるシャンプーの量 はただならない。これはこの家のことを考えるとかなり無駄である。そしてわたしは無駄 に走らない。やたら喉が渇くだけだし、爪にも良くないのだ。なのに午前四時過ぎ、深夜映画を一本観終えた男主人Hは満面 の笑みを浮かべ て、わたしの首に鎖をつけた。「ほら、気持ちいいだろう、走れよ、かっこよく」 さっそうとHはうっとうしい朝の空気を斬って、自転車のペダルを漕いでいる。わたしはおずおずと爪を痛めないほどに、足の裏の肉球がカクシツ化しないように、走るでもなく歩くでもなくだらだらとついて行く。 ああ、また魔の自転車散歩が始まってしまったのかと思うと、雨の少ない梅雨を恨むのだ。

ハドソン

 

 

2001年6月21日木曜日 紫陽花の花びら一枚一枚がそのことを知らないように、海は自分が球体の一部であることを知らない。足首のない杭が桟橋を歩くと、コツコツ。ゆるやかな傾斜の果 てにある朝が、少しずつ時間を食べている。

大森の動物病院まで、わたしと息子のバクは車に乗せられてワクチンの注射を打ちに行った。男主人Hは事故を起こすわりに運転が上手い。女主人Dは助手席で靴を脱いで、握り飯を食べる。いつもならよだれを垂らすところだが、わたしたち親子は大の車好きである。わたしはずっと後部座席に座り、窓から首を出して風に吹かれていた。小さな橋を渡るとき、水の匂いがした。ついうっとりとして目を細め、自分の系譜を遡行してしまう。わたしは鮭犬かもしれない。男主人Hの枝分かれした先祖に、江戸時代に酔っぱらって橋から落ちて死んだ神主がいたという。水面 に映る肉をくわえた自分を見て、うっかり吠えて肉を川に落としてしまうほど馬鹿じゃないが、わたしもビールが好きだから気をつけよう。

体重計付き診察台に乗ったら、わたしは38キロだった。うん、減量 はなんとかうまくいっているようだ。そんなことより心配なのが息子バクの体重だった。なんと44キロ。女主人Dを越えて、あと4キロで男主人Hと並んでしまう。この際、二人して万歩計を買ってもらおうかな。                    

ハドソン

 

 

2001年6月14日木曜日 庭の草木が五感を持っているとすれば、今日の雨にやさしさを感じるだろう。しとしとと昭和の瓦を流れる雨は静寂を巻き込み、あらゆる生き物の鼻腔を開かせる。縁側のガラス戸と網戸にはさまれて、蛞蝓がじっとしている。こんな日の部屋はアナログ盤が似合う。針音に金縛りにあったように、椅子に座るだけの日々の幸せを遠くに感じる。

最近、息子のバクが可愛がられている。決して誰に対しても噛まないし、尻尾をバタバタと振る。ヘエヘエといつも笑ったような口をして、どんな人間の顔でもお構いなしになめまくる。唾はちょっと臭いけどその仕草は評判がいい。わたしは遠巻きに寝っ転がって、薄目を開けながら、あそこまで依存度が強いことへ少々疑問を抱きなが ら、まあ仕方ないか、あいつはわたしのひとり息子なんだから、と無理矢理強引な結論を引っぱり出して毎日をちょっと苦々しく暮らしている。そのせいかわたしの唇のまわりは白くなってしまった。

わたしは息子のバクが羨ましいなどとは思わない。スタイルを変えないで、誇り高く生きて行く。男主人Hよ、見習いなさい。               

ハドソン

 

 

2001年6月5日火曜日 湿り気がまぶたの中に溜まってゆくと、見てはいけない夢をみる。将棋倒しになった一番下で、動かない手足をばたつかせて自分の顔の向きを変えるような、窒息しそうな眠りの中で、草木の緑は匂いを強めてゆく。時には懐かしいこの匂いも、今は強すぎて首にまつわりつき、夜まで鎖骨のくぼみにひそんでいるようだ。

昨日の午後4時ごろ、二階へ上る階段で大きな音がした。ゆっくりと上目使いで見てみると、男主人Hが階段の一番上の便所の前で倒れていた。右手で右側頭部をおさえ、左手で左足のスネを抱え込んで、口を開けて目を閉じて、泣くに泣けない痛さなのか声にならない声を出していた。そもそもよく転ぶ主人なので「またか」と思ってはみたものの、ちょっと心配になってもそもそと寄ってみた。様子から察するに、一番上の階段を踏み外し三段ほど左足のスネで落ち、そうしながら前に倒れ、便所のドアに右側頭部を打ちつけたようだ。暗殺者に狙撃されたかのように倒れていたHだが、むっくと上体を起こしてやっと、恐る恐るズボンをめくってスネを見ていた。膝下から足首の少し上までひどく擦りむけている。所々傷口から肉が見える。わたしは人間の肉を見るのは初めてだなというふうに、鼻を近づけた。でもちょっと気持ち悪いのでなめるのはやめとこう。夜、女主人Dが帰ってきて、案の定男主人Hはけちょんけちょんに言われていた。Hは「擦りむいただけ、乾かしておけば治るさ」と言ってその場はすませたが、今日、病院に行ってみて、ことの重大さを理解したようだ。そう男主人Hよ、夏になって短パンを履けないようなスネじゃあみっともない。今は風呂にも入れず、片足ゲートルの男だけれど、この梅雨さえ越えられればね。             

ハドソン  

 

 

2001年4月1日日曜日 昨日の雪に草木は少し驚いた様子で、今日の陽射しを身をかたくして慎重に浴びている。それほど高く上がらない温度計が、この陽射しの鈍さを物語っていた。こんな春もあるさ、と泡を吐いているのは水槽の中の巨大な金魚だけだった。屋根は芽吹く新緑の香りと、湿った海からの風を待っている。

わたしがこんなに寝てばかりいるのは季節のせいではない。先祖代々イギリスはヒースの丘を駆け回っていたときからそうだったに違いない。そのころは多分、人のスネを見ると眠気がやってきて、暖炉の薪が燃え出すともう夢の中という感じだっただろう。だからわたしを無闇に起こしちゃだめなんだ。特に男主人Hよ、自転車で真夜中に煙草を買いに行くときに、「さあ、楽しい自転車散歩だぞ、ハド」とか言って、わたしに鎖の首輪をつけないでくれ。朝までち ょっと待てば3時間ぐらい。そうすれば大工のMさんが「しゅば、しゅば」とか言ってやってくるんだ。それにしても大工のMさんにとってわたしの名前はどうでもいいらしい。毎日のように変わる。もちろん「ハドソン」という名であることは百も承知だ。かれにとっての今日のわたしが「しゅば、しゅば」であったり「ちょべ、ちょべ」であったりするだけで、深い理由はないのだけれど、わたしにはまだそれを楽しむだけの読解力がない。ほとんど人間の言葉や心は解るのだけれど、最後の壁というものだろうか。       

ハドソン  

 

 

2001年3月19日月曜日 冬のプレートがじわじわと春のプレートにのめり込んでゆくと、大気の電子のバランスが狂って狂人の脳を刺激する。桜が咲き乱れる頃になると、地を這う人々が立ち上がり、わたしを指差して言うだろう。「ジグモの声を聞け」と。頭髪の分け目が逆になったのはいつだったか、全く思い出せないことを全力で考えなくてはならない季節になった。

夢ばかりみている身だから、今日のことも夢であることを願ったけれど、そうはうまく現実が許してくれなかった。男主人Hがまた自動車事故を起こしたのだ。事故といってもトラックの角張った後ろに車の左側をこすりつけたもので、人間は全くなんともないようだった。しかし悪いことに女主人Dの車であった。もう4回目ぐらいだろうか。H自身の車での事故を数えれば10回にはなるだろう。彼はそんなに死んでは生き返っている。ゾンビのような男である。幸い、わたしが後部座席に乗り込んでいるとき、そんな目に遭っていない。もっとも年に数度、近くの動物病院に行くときだけだから、それでもしそんな目に遭っていたとしたら、この国の運転免許制度を考え直した方がいいだろう。わたしのようなゴールデンが運転できる日もそう遠くない気がする。

 

 

2001年3月4日日曜日 白い朝が庭の木々の小さな芽を隠そうとしても、隠しきれない季節になった。夢の中で何度となく砕けた水晶にやっと青空が映り出した。あとは待つだけでいい。何もしないで待つだけでいい。

わたしの右前足には深い切り傷の痕がある。1才半のとき、散歩に連れていってくれる大工のMさんが、この家を出ようと玄関のガラス戸を閉めた時、不運にもわたしは勢いよく頭からガラス戸に突っ込んでしまった。曇りガラスの破片が前足を深くえぐり、笑うセールスマンのような獣医を呼ぶことになった。黒皮のぶ厚い往診用の鞄から、獣医は一本の太い紐を取り出して男主人Hにささやいた。「いくら子供でかわいいといっても、犬を心から信用してはいけませんよ、相手は背伸びしても動物ですからね」 そう言って、わたしの口を紐できつく結んだ。おかげで傷はいまでも三日に一度は疼 く。心ない言葉が残したものは大きい。

                                  ハドソン

 

 

2001年2月27日火曜日 季節の揺れ動きに薄い皮膚が細かく反応して、心が空洞になる。病み上がりの象のようなトラックが、朝日を浴びて白煙をあげながらうなっていると、少し暖かい風が吹いてきた。胸騒ぎをひた隠しに町はその輪郭をぼかし始めている。

やけに平和な日々が続いた。だからなおさら不安だった。夜は暖かい2階の部屋で静かに眠り、昼は階段の上で誰も来ない玄関を、ぼんやりみつめながら過ごした。相変わらず男主人Hは、なにも仕事らしい仕事もしないで時間を棒にふっている。しかしそれはなにも今に始まったことではない。わたしが生きてきた7年間、ずっとそうだった。だからきっと、これからも同じように時間を無駄 にしてHは生きていくんだろう。それはそれで完結しているから、わたしが横から吠えることでもないのだが、少々心配ではある。女主人DはよくHに言っている。「あなたは長生きするわね、絶対保証付きよ、風邪もひかないものね、もし病気になったって、霞を吸えば治るんじゃない」Hはそんな時何も言わず、煙草を吸いながらにやにや笑い、寝ているわたしの首を撫でる。わたしは感じる。首の体毛に触れるHの手のひらが乾き切っているのを。そして潮騒が揺らす窓ガラスのように微動するのを。

彼のわたしたち親子に対する、強硬な自転車散歩は、この日から始まった。

                                  ハドソン

 

 

2001年2月19日月曜日 頑で、口も滅多に開かず、目をつぶり眉をまっすぐにした冬が終わろうとしている。夢を見ることのなかった生物たちが一斉に寝汗をかいて目覚めると、幻のような靄が町を包む。そのぬ くもりに生命のにおいを感じた。

わたしの天敵、ピアノ調律士のT氏が来た。彼はハンターでもあり、ブリーダーでもあるらしい。歳の頃は50歳、良い体格で陽に焼けていて、野太い声で話す。埼玉 の方の自宅では、ポインター2頭、ボクサー1頭、他雑種2頭ほど猟犬として飼っている。犬舎は水洗で暖房完備。冬は食事を2回、散歩は近所の河原へ行ってスズメやカラスを追わせるという。わたしが1歳ぐらいの時、男主人Hがわたしを抱きかかえて彼に見せながら言った。 「どうです、かわいいでしょう?」 天敵T氏が言った。「なんで飼っちゃったの、この前足、でかくなるよ」T氏はわたしの前足をぐりぐりつかんで、話し続けた。「悪いことしたらすぐしめないとね、そうしないとこっちがなめられちゃうよ、吠えたら喉に電気ショックがはしる首輪を買っ た方がいい」と、散々言ったあげく、でかい目玉でわたしを睨みつけた。 それから今まで彼とわたしの戦いは続いている。そう、世の中にはどうしても好きに なれない人間というのがいるものなんだ。そんな風に諦めてしまえば気が楽になるんだけれど、そうもいかない。男主人Hはずいぶんと仲良くT氏と話している。いつか電気ショック入りの首輪をつけられるぞ。

ハドソン

 

 

2001年1月24日水曜日 朝がほんの少し早くなった。でも冷気はカラスのくちばしをも凍らせているようだ。なにも生まれない明るさの中、道を走ると頬の血管がバリバリいう。土の中に眠りたいほどの冬が続く。

わたしは最近、食欲が旺盛だ。夕方5時になると食事が待ち遠しくて、あばれる。これが唯一の重大な仕事だとばかりに、音楽も執筆もしてない、とことん無職に近い21世紀の男主人Hは、待ってましたという風に腰を上げて台所へゆく。わたしと息子バクはぞろぞろとその後をついてゆく。そうすると台所には必ずHの母Mがいて、家 族の夕食の支度とかち合ってしまうのだ。Hの母Mはいつも独り言のように一方的にしゃべりながら包丁を振り回すから、Hはそれを避けながらわたしたちの食事を作る。Hが生死を懸けて作った食事を、わたしは自分の分はぺロッと食べて、落ち着きのない息子のところへ行って彼が食い散らかした残りも食べる。それがなんとも旨いのだ。これでは全くダイエットフードにしている意味なんかないじゃないか、といわれようが旨いものは旨い。さあ、食べたらすぐ寝なくてはね。

ハドソン

 

 

2001年1月19日金曜日 重たい雲を突き刺すようにクレーンが突っ立っている。 今日は昨日より暖かく感じられた。雲が風を遮り、冷気を吸い取ってくれたようだ。 少しだけ外へ出ようと思った。

女主人Dのパソコンのディスプレイの上に、小さなわたしがいる。金属の骨のネックレスを自慢げに光らせて、滅多にかぶらない帽子を頭にのせて、なんだかかなりわたしよりかわいい。ちょっと複雑な気もするけれど、本当に送ってくれたとりさんありがとう。そしてこのわたしの人形の存在を教えてくれたなつこ夫人にも、お礼の気持 ちはいっぱいです。しかし男主人Hは送られて来たばかりの段ボールの中のわたしを持って、なでながら言った。「これは商売になるな、キャラクターズグッズとしてセガのUFOキャッチャーに売り込もうか。宇宙船ミールも落ちて来そうだし」なんという不謹慎な発言か。いっしょにいたマネージャーのAさんも呆れていた。それにしてもどんな御返しをすれば良いやら、久しぶりに考えなくてはならないことが出来てわたしは二重にうれしい。

ハドソン

 

 

2001年1月16日火曜日 凍りついた朝の空がいまにもひび割れて落ちてきそうだ。階段の踊り場の大きな窓ガラスは白く曇って何も見えない。なにをしてもこの寒 さはどうにもならないのなら、いっそ冷たいアスファルトの道に寝ころんでしまおう。 きっと風が氷にしてくれる。

わたしはぬくぬくとした暖かい部屋でほとんど一日中寝ている。オイルヒーターの熱気流が耳もとをやさしくかするめると、いい気持ちになって目が細くなってしまう。 息子のバクはどうもおちつかない。じっとしていればいいものを、ドアが開くたびに 部屋から出ては、階段の上でうずくまる。まるで見張らし台の兵士のようだ。青いコンクリートミキサー車が戦車みたいに家の前を通 ると低い声で吠える。 わたしと男主人Hはほとんどこの部屋を出ない。Hは昼から大相撲を見続け真夜中の映画まで、テレビの前に坐っている。日に二度ポットにコーヒーを作り数回トイレに 行く。きっとわたしよりHの方が世界は小さい。この寒さが続くかぎり、彼は滅多に動かないだろう。 

ハドソン

 

 

2001年1月11日木曜日 朝、祖母の後を追って庭に出ると、土が柔らかく、少 し温かった。肉球に重い地球を感じながら息を吐いた。空が狭い。人間たちは空をこんなにしてまで、何故一生懸命家やビルを造るのか、不思議になった。

女主人Dは珍しく、21世紀正月早々から9日まで仕事をしていた。男主人Hも13 日にライヴがあるとかで何やら支度をしていた。だからこの家は20世紀と21世紀の区切りをしていない。しかしよく考えてみれば、わたしには関係のないことでもある。わたしは愛玩犬のふりをして、人間と同じようにこの地球に棲息しているだけなのだ。男主人Hが突然わたしの首をなでながら言った。「おれが死んだら焼き場まで来て喉仏をくわえて多摩川まで走ってくれよ」 女主人Dがわたしの両手を持ちながら言った。「地震の時はまずわたしを救助してね、その次はとりさんという人ね。そうすればきっとハド人形もらえるよ」 相変らず世紀を越えても勝手である。でも、ハド人形には興味があるな。何かと交換してくれないかな。

ハドソン

 

 

2001年1月9日火曜日 何にも考えてない東京の冬の空が雪を降らすなんて、低い屋根たちはびっくりしてみしみしと音をたてていた。路肩に泥まみれになった雪の塊は、どこか気前悪そうにしている。

男主人Hはなんだかニコニコして紙袋を持って帰って来た。おもむろに、そして自慢げにそこから何かを取り出して言った。「ヒゲトリマーだぜ」 げっ、わたしのヒゲをどうにかしようというのか、この野蛮人は。と思ったが、それ は自分のヒゲを丁度良く刈る道具だった。彼のヒゲは伸びると黒々として四方八方へ広がる。それがかなり嫌だったらしく、こんなものを買って来てしまったのだ。 彼は早速長さ3ミリ設定で思いっきり良くスイッチを入れてヒゲにあてた。バリバリ という不吉な音をたてて、ヒゲが散っていった? 見事にヒゲは上等な絨毯のようになって、男主人Hの鼻の下にある。それはあまりにも整然とし過ぎていて、わたしにとっ ては嘗め甲斐があるが、人間の顔にとってはどうであるかは疑問だった。女主人Dはすかさず言った。「また無駄 な物を買ったのね、わたしがハサミで刈ってあげるからもう、それ以上いじらないでね」 男主人Hは背をより丸めて、散らばったヒゲのあとかたずけをしながらつぶやいた。「ヒゲトリマーだぜ」と。 21世紀になったことはわたしには関係ない。そしてそれ以上にこの二人の主人にも 関係ないようだ。                                   

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